まえがき
森立之を知ったのは島田隆司先生の素問講義だった。
講義は本文考証を基に、古典文献から現代中国の注解書まで自在に引用、鍼灸臨床を踏まえたもので、先生の師丸山昌朗の素問研究を継ぐものだった。筆者漢方初心の頃、丸山昌朗著「鍼灸医学と古典の研究」に心ときめいた。編集あとがきに島田隆司とあった。
島田隆司先生の素問講義は平成3年から始まり平成11年に終わった。
先生は素問の注解書として森立之の素問攷注を高く評価されていた。
それから傷寒論攷注は、すぐれたものであるに違いないと信じて、当地の高松漢方研究会の場で読み始める。
読みは立之の案文の訓読。浅学非才の身にとって傷寒論攷注は膨大且つ難解。
あまりの巨峰に登りかねて立ちどまるとき、島田先生の治療室のある池袋のマンションの集会所での講義風景が浮かんでくる。小曽戸洋先生の論文がある。忍耐強く耳を傾けてくれる高松漢方研究会会員が居る。
遅々たる歩みだが続けて10年。太陽上篇から順次不可下篇に至っている。
傷寒論攷注は、江戸医学館を中心に積み重ねられた日本考証学派の集大成。日本漢方医学にとって汲めども尽きぬ源泉となり得ると考えた。
太陽上篇から逐次ネットに乗せていく予定。未熟故に諸賢の御批判をいただきたいと思う。
ご多忙の中、愚問に答えていただいた小曽戸洋先生、岩井傷寒論攷注講義でお教えをいただいた岩井祐泉先生に深謝します。
2006年7月 三好史郎
底本は国立国会図書館所蔵の森立之自筆稿本「傷寒論攷注」の影印本(漢方原典攷注集所収、オリエント出版1986年)を用いた。
参考資料
「傷寒論考注」中国・学苑出版社2000年
「傷寒論入門」森田幸門1958年
小曽戸洋.考証学派と傷寒論.中医臨床1982年3巻
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凡 例
文献略語
- 白字・「神農本草経」 黒字・「本草経集注」陶弘景著
- 日本
- (述)多紀元堅「傷寒論述義」江戸
- (疏)喜多村直寛「傷寒論疏義」江戸
- (集)山田正珍「傷寒論集成」江戸 丹波康頼「醫心方」平安
- 中国
- (成)無己「注解傷寒論」宋
- (趙)嗣真
- (宸)亮宸 以上二家仲景全書所引
- (兼)張兼善 準縄所引 明
- (王)宇泰「傷寒準縄」明
- (方)有執「傷寒論條辨」明
- (喩)昌「傷寒論尚論」清
- (徐)彬「傷寒論原方發明」 清
- (程)應旄「傷寒論後條辨」清
- (銭)潢「傷寒論證治發明溯源集」清
- (柯)琴「傷寒論註来蘇集」清
- (周)揚俊「傷寒論三註」清
- (張)璐「傷寒纉論」清
- (志)張志聡「傷寒論集註」清
- (印)張志聡「傷寒宗印」清
- (錫)張錫駒「傷寒論真解」清
- (魏)荔彤「傷寒論本義」清
- (三)王三陽「傷寒綱目」
- (汪)琥「傷寒論辨證廣註」清
- (閔)芝慶「傷寒闡要編」
- (林)瀾
- (沈)明宗
- (鄭)重光
- (知)程知
- (駒)呉人駒
以上六家金鑑所引
- (鑑)「後纂醫宗金鑑」明
- (呉)儀洛「傷寒分経」清
- (舒)詔「再重訂傷寒論集注」清
- (龐)安時「傷寒総病論」宋
- (許)宏「金鏡内臺方議」明
- (朱)肱「活人書」宋
- (機)汪機「傷寒選録」明
- (椿)徐大椿「傷寒類方」清
- (金)沈金鰲「傷寒綱目」清
- (尤)怡「傷寒貫珠集」清
- (秦)之?「傷寒太白」清
- (郭)雍「仲景傷寒論補亡論」宋
- (熊)壽試「傷寒論集註」清
- (史)以申「傷寒正宗」清
- (黄)仲理「傷寒類證便覧」明
- 王叔和「脈経」晉
- 陶弘景「本草経集注」 梁
- 巣元方「諸病源候論」隋
- 孫思邈「千金方」「千金翼方」 王
「外臺秘要方」唐